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タ イ 製 陶 史

先史時代
先史時代人の遺物は中石器時代の20,000年以前にさかのぼる。
タイ王国の国土から多くの陶磁遺物が発見され、10,000年前から始まる先史時代以来、相当文明の発達した様々な種族が国内の多くの地方に住んでいたことを示している。
金属器時代の著名な発見物の一つは、バン・チェン(バンは村の意)の彩陶であるが、これは紀元前4,000年にさかのぽる。
これに反し、他の金属器時代の遺跡では、紀元前2,000年代の通常の土器を製造しており製陶の伝統的技法は、引き続き歴史時代に伝承された。

夕イ国史の時代区分は次のとおりである
夕 イ 国 史
時 代
1 ドヴァラヴァティ時代
6世紀から 9世紀
2 シュリーヴィジャヤ時代
8世紀から11世紀
3 ロッブリ時代
11世紀から15世紀
4 スコタイ時代
13世紀から15世紀
5 チェンセーン時代
13世紀から15世紀
6 アユタヤ時代
14世紀から18世紀
7 パンコク時代
18世紀末から現在迄

中石器時代:10,000年〜8,350年頃
中石器時代の土器の最古の例は、マエホンソン県スビリット洞窟で発見された。
研磨した石斧や石刃と共伴して発見された土器片は、今から10000年〜8350年以上にさかのぽることが明らかとなった。
スビリットの土器の表面は、磨研か縄目文様(縄文)で飾ってあるかの何れかである。
タイ国の製陶の伝統的技法は、遅くとも10,000年以前に始まったといえるのである。
バンコク西方カンチャナブリ県で、新石器時代の遺跡を調査発掘し,おびただしい数の人骨と共に、土器や研磨した石斧及び普通の石斧などがある。
製陶技術はかなり高度に発達していた様である。
土器の色は黒色、赤褐色及灰色でありそれらの土器のうち、ある物は表面が磨かれており、他の物は縄文が施されている。


新石器時代:約4,000年以前
出土した土器は、26種の様式をもっていたが、その中でもっとも目立ったものは三足の鼎であって、先史時代の中国の『鬲(れき)』に似ており、年代を調べたところ、これらは約4,000年以前に作られたことが判明した。
カオサムルナム洞窟でも、バン・カオ遺跡出土の土器と似ている同年代の物が出土した。
ロッブリ県パン・コク・チャレオン遺跡出土の土器は、既述の諸遺跡出上の土器よりさらに装飾が加わっている。
文様はこの遺跡独特の物で、それらは線刻文や巻貝文等である。
台付鉢の形式もまたこの遺跡独特の物である。


金属器時代:紀元前3,000年
東北にあるウドンタニ県パン・チェン村の遺跡から、最古の銅器製造技術の遺物が出土と同時に土器もまた出土している。(他地区からも出土している)
土器の著しい特微は、淡黄色の素地に文様が描かれていることであつて、今ではパン・チェン土器として有名になっている。
東北部のサコンナコン県サワンデンデンディン地区でも発見されている。
バン・チェン文化の最古の土器は、黒色または灰色で、縄文や捌花文で飾られ丸い胴の壺や台皿などである。
ここで、最古のものは、紀元前3,600年から2,000年以前となる。
この時代の未期に作られた土器には、線彫した文様の枠内を代赤で塗った物があり後代に現れた手描による赤色彩陶の先駆を成す物であろう。

パン・チエン土器:紀元前1,600〜500年の後期

パン・チエン土器は彩陶であり、この種のものが、世界的に有名にした。
土器に使用した顔料は、おそらく代赤石か或は樹液と混ぜた黄色土(赤鉄鉱)であろう。
様々な文様がこれらの遺跡から出土した土器に現れているが、それらを詳しくのべると
1
蜥蜴・蛙・蛇・亀・鹿・水牛その他小さな昆虫類のような動物文様
2
葉文様
3
三角・四角・円・渦巻き、様式化した巻貝文様などの幾何学文様
4
男女の性器のようなもの等である

ドヴァラヴァティ時代:6〜11世紀
先史時代の終末(キリスト紀元の初期)に、現在のタイ国領に出現した最初の王国は扶南(ふなん)であり先史文化を示すおもな考古遺跡は、スパンブリ県ウトン地区とナコンサワン県タクリ地区のチャンセーンとにある。
ベトナム南部オケオの遺物に似ているが、従来はそこが扶南の中心であると考えられていた。
6〜11世紀、ドヴァラヴァティ王国が今日のタイ国の中央部に引続いて存在し、東北及北部に衛星都市国家をもっていた。
ドヴァラヴァティ時代の焼物は日常用の道具類であり、ランブや建築装飾用諸像と共に、雛、壷、鉢、ケンディ(水注)等、全ては土器と称すべき物でありドヴァラヴァティ時代の焼物は、粒子の粗い素地と精綴な素地との二種類の土器がある。
手捻りか轆轤で素地は、粘土に砂の様な物を混ぜた土器と粘土と鉱物質の物を混ぜた物である。
手捻りによって作る土器は、黄色味を柵びた黒や灰色等、様々な色合いを持った厚手の素地から出来ている。
粗胎土器の中には、丸い胴を持った大墾が有り、台座を使用し製作されたであろう。
別様式の墾は、底が丸くて、胎が薄く、轆轤仕上げで、素地は中間に灰色を有する桃色・赤色又は灰色である。
粗胎土器の表面は、縄文・印花文・縦筋文や席文などで飾ってあるが、おそらく炎や籠等によって、これらの文様が着けられた物であろう。
この種の土器は、アジア広域の古代遺跡などで発見されている。

精胎土器
技術が進み轆轤成形によって胎は薄く仕上げられ高火度焼成による土器である。
表面は磨かれ、白土の化粧掛をした素地は灰色がかったビンクか黄色味を帯びている。
装飾技法が広範囲に渡り、この種の装飾文様は2種類あり、肩か胴に施されるのである。
土器の肩の部分に施される装飾文様には、9つの型があり、
A 指圧文と波状文
B 線文と波文
C 線刻の平行線帯の中に施した菱形文
D 水平な環状帯内に施した打点の短い斜線文
E 銚衡文帯
F 水平な環状帯内のV字重ね文
G 十字文帯
H 線刻の平行線文帯
I 四角な枠内に施した馬の口文帯など
胴部の装飾文様は、特に精胎土器においては、突起文によって分離されている長方形印花文の水平連続帯である。
印花文は動物や象微で象・獅子・霊鳥(ハムサ)等の様に仏教やパラモン教に関係のある文様で、白色顔料又は紅白の線で塗った物もある。
一般的には、ドヴァラヴァテイ土器は、日常生活用の道具である。
高度の技術を用いて作った精胎土器は例外としても、これらの土器は大体において、この種の土器は、おそらく互いに影響し合ったと思われる扶南やクメールの土器と似ている。

特製土器
このグループに属するものは、注口の有無はあるにせよ、いずれもケンディの形式を持つ土器である。 注口のついたケンディをタイ語で「コンティ」そして注口の付いていない物を「コントー」と称する。
これらのケンディは、丸い胴と高い醐と細口又は広口を有しており、精徴な土味を有し、急回転の轄櫨で成形されある程度の温度調節が可能な、此較的に巧妙に作られた窯で焼成された物である。
窯の温度は、かなり高温であり(その結果)、素地は滑らかであり、結士によって差はあるものの、それらの色は乳白色か黄色か又は赤色をしている。
その中では、乳白色の土器の品質がもっともすぐれている。
ケンディの表而の装飾は、口縁や頸や肩に測花文または刻花文の技法で施され、彫刻された部分の周閉は赤く塗られている。
タオモ一号窯とタオモ三号窯でタイ国芸術局が行なった発掘の結果、窯の下部構造が発見されたが、それは地下30センチメートルの深さの所に埋まっていた。
窯の天介部は壊れていたがその窯の実測図から判断して、窯は直径1.3mの円窯であり、20cm幅の溝によって、4分円に分割されていた。
窯床の下から、埋まっていた大量の粘土と土器片が発見された。
カオリンや雲母を多量に含んだ砂のような好材料をパーオ村一帯では、容易にみつけることができる。

ロッブリ時代
ロッブリ陶は「クメール陶」として多くの人々に知られている。
ロッブリ時代の美術は、クメール美術と同様の美術様式を意味しているからである。
クメールの文化遺物に似たものが、他の地方よりも大量にロッブリにおいて発見されているせいでもある。
ロッブリ陶はタイ東北部ブリラム県ロッブリ窯址(3つの小高い丘の古窯址(240平方Km以上))で発見され、11〜12世紀のクメール遺跡の近くで中国の宋時代の青白磁と共に出土されている。
窯は焼成粘土で築かれ、四連房式の構成で、最初の房は焚口らしく、最後の房は煙突になっていることが明らかになった。
この窯群は、他の窯址の上に重ねて築かれていることが判明したドンレク山脈の北部、ウボンラチャタニのシサケソトとロイェット県とスリン県のパン・サワイで古窯趾では、仏陀や神々や聖霊に捧げる祭器と実用品との二種類があった。
パン・クルアット窯趾出土の焼物はせっ器であり、6グループに分類することができる。

1:半透明な淡緑乃至黄白色灰紬をかけたせっ器:9〜10世紀頃
鉢は深鉢形であり、がっちりとした筒形の壷類、外側に広がる高台を有する容器、短 頸瓶、線刻文の合子などがある。

2:緑紬褐紬せっ器:11世紀
11世紀、果褐紬の大盤や大盛と共に、黄緑灰紬のせっ器が出土し陶磁生産上で重要な発展を遂げた証拠に同一器物に結納と濃褐釉との二色の釉薬を同時に使用した点にある。
普通は、頸の部分にあたる器物の上部に緑釉をかけ、濃褐釉は胴部や下部にかけるの だが、象形をした石灰壷(訳注:濱榔子(びんろうし)を噛む際に用いる石灰を入れる壷)などは、必ずしもこの原則どおりには施釉が行なわれていない。
筒形の合子や石灰壺は下膨れの壷と同様に一般的なものである。
釉下に施される装飾は、素地に刻み込む剖花文か刻花文である。

3:濃褐和または黒釉せっ器:11〜12世紀
素地は赤昧を帯びており、合子を始め、短い頸を持った端反り口の壺等の様な小物には、貫入の入った釉がしばしば認められ、高い高台をもつ壷はとくに数が多い。

4:釉下暗花文せっ器:12〜13世紀頃
濃褐色の釉下に美麗で繊細な文様を有する焼物である。 
兎や象の様な動物形の石灰壷に、様々な用途が有り、形式も寸法も広範囲に及んでいる。
油壷や化粧品入れの合子などは鳥形である。
装飾方法に付いてみると、動物形や人間の形をした物がよく見られるが、文様は 単純な幾何学文で、印花・刻花・劃花の技法を使用している。
水平な卷線文帯・縦筋文・蓮弁文・綾目文・帯状山形文・波状文・同心円文等と共に、櫛描波文も一般的である。
どちらかといえば、素地は薄い方である。

5:粗胎黒紬せっ器:12〜13世紀頃
素地の粒子が粗く重いやきものである。
これらの大部分は特殊な装飾をもった壷や墾である。
高い高台の壷には、雁の頭がつけてあったり、石灰壷等には象の形をした物がある。

6:平底無釉せっ器:9〜10世紀頃
赤紫色の素地を右する平底の無釉せっ器である。
器種は貯蔵壺や大盤の形式をとる。
これらのせっ器には、まわりに剖花で幾何学文や列点文の装飾帯をつけた物がある。

スコタイ(サンガローク一):13世紀末から14世紀頃

『サンガローク』とはタイ国の陶磁の一種につけられた名称であるがわが国でいう『スコタイ』と(サワンカローク)が含まれる)、今日のスコタイとビッサヌロークで、 スコタイ時代に焼成されたものである。
タイの人々はサンガローク窯を「トゥリアン」窯と呼んでおり、タイ国北部の伝説では、ブラルアン王の要請によって、中国の陶工がスコタイに移生してきたとき中国の景徳鎖古窯の所在地「浮梁」が変化したとされているからである。
この頃中国の龍泉窯系青磁が、この地方で、表面採集だけではなく、発掘によって発見されている。
サンガローク窯の窯址については、二つの重要な遺跡がある。
スコタイとコーノイとパヤンを合むシサッチャナライである。
バヤンから約5Km離れたハン・コーノイの近郊ハン・ノンオに、土地の人々には「モン」(モン=ドヴ一ラワニアのモンではない)として知られた窯がある。 
赤紫色の素地を方する濃黄緑色の釉薬のかかったサンガロークなのである。
ピッサヌローク県タオハイ村で昔に洪水で流された窯址の形跡があり、濃禍色の釉薬がかかった貯蔵用の大壷、灌漑用陶管や陶製砲弾などである(タイ語で、タオは窯を、ハイは貯蔵壷を意味する)。

1:スコタイ窯址
スコタイ地区旧都の方にあり製品は、見込に釉下鉄絵で魚文を描き、透明釉を掛けた皿と鉢とである。
素地は、それほど精緻ではないので表面を滑らかにするために施釉前に土で化粧掛をしている。
器物の底は無釉のままなので、赤味を榊びた絢色の素地がみえる。

2:パヤンとコーノイ窯阯
シサッチャナライ地区には、二つの主要な遺跡があり、パン・パヤンの一つは「タオ ヤク」と呼ばれている(タオは窯を、ヤクは守護神または鬼神を意味する)。
主製品は、建築に使用する装飾用の像とその他の建築用装飾品とである。タオ・パン・コーノイは、様々な種類の日常用陶器が発見され、緑色釉乃至青磁釉、白濁釉、褐釉などがかかっているが、この窯は釉下鉄絵、褐彩等も焼成していたのである。
サンガロークは、その素地が非常に精繊で、乳白色を呈しており、化粧掛等せずに施釉されている。
濃褐色のかかった焼物は「チャリエン窯」と呼ばれる別の窯で焼成されたものと考えられていたが(チャリエンはサワンカロークの古い名称)褐釉陶は青磁や白釉など他の焼物と一緒に、パヤンにあった諸窯で焼成されたことを明らかにしている。

3:フーン・カムルエン窯趾(シサッチャナライ地区のパン・コーノイ)
無釉せっ器だけを生産していた一つの窯を発見した。 
ここでは、無地の物と器物の表面に割花文或は貼花文を施した物との二種類がある。

4:ノンオ窯趾
ノンオ窯趾は、シサツチャナライ地区のパン・コーノイの近くにあり渡黄緑釉の掛った皿や蓋付壷や屋根瓦等は、おそらくこの窯で焼成された物であろう。
これらのやきものの素地は、粒子が粗く、その色は灰色または赤紫色である。
土地の人々には「モン」窯という名で知られている。

5:タオハイ窯趾
タオハイ窯趾は、ビッサヌローク県クオハイ村にある。
昔に洪水に遭って、無数の褐片が窯趾や川岸に散乱しており褐片の多くは、赤紫色の厚い素地に淡褐舳を掛けたせっ器であり褐片の厚さからおそらく高さ50cmを超える貯蔵用大壷又はその種の器物の破片であり灌漑用陶管や陶製砲弾などもこの窯で作られたことであろう。

サンカローク窯の構造
スコタイ旧城やシサッチャナライ地区にある窯は、アーチ状の入外を持った下膨れの窯で煉瓦で構築され、中国の江西省景徳鎮にある現代の単室の丸窯の構造に似ている。
サンガローク窯の大きさは、中国にある窯の規模に比べると小く、高さは2.2m、幅が2.3m位で前部は焚口、真中は焼物を置く焼成室で、後部は煙突に分けられている。
サンガローク窯には焼成粘土で築いた物もありドーム形天井の円窯も存在していた。
この窯で焚くには、窯床に小さな孔をいくつかあけておき、焚口が窯床の下にある。

1:窯道具
轆轤(ろくろ)で仕上げが完了した器物は、焼成のために窯の中に運ばれるが、その時には細長 い支柱の上にのせられ(中には五つか六つの爪のある粘土の円盤をやきものとやきものの間に挿入して)重ねる場合もある。
したがつて、これらの目跡がサンガロークの皿や鉢に残っている。
「モン」窯では、四つの爪のある四角な粘土板をトチンとして使用していた。
サンガローク諸窯では、焼成するときに、中国で用いられているような鉢の類をまつたく使用していなかった。

2:サンガロークの器形

異なった用途のために焼造されたサンガロークには、様々な器形のものが存在する。
たとえば下記のようなものがある。 
1
宗教用具-特に仏教の為に作られた物には、仏陀やその弟子たちの像や仏塔等。
2
建築装飾用-寺院の入口に置かれる守護神像、屋根瓦、天人像、屋根の頂華・欄干、階段手摺、屋根飾や破風形装飾品
3
日常生活用品-皿、鉢、盤、瓶、壷、合子、ケンディ、ランプ、台皿等。
4
玩具あるいは祭器-人形、武者像、水滴、母子像、男女相愛像、男と鶏像、将棋の駒、動物像等。

3:サンガロークの種類

サンガローク窯の素地はせっ器であって、1150〜1280℃ぐらいの温度で焼成された。
様々な釉薬と装飾文様からなる多くの種類があり、それらを区別すると、
1
緑色釉乃至青磁釉
2
濃褐釉
3
白濁釉
4
白地鉄絵
5
白・地上絵褐彩
6
白・褐色釉掛分
7
赤色加彩半せっ器
8
濃黄緑釉せっ器
9
劃花文無釉せっ器などがある。

4:装飾の種類

1
釉下彩絵
2
掛分
3
釉上彩絵
4
舳花文などである。
サンガロークに及ぽした外郡の影響

1:ロッブリ陶の影響
ロッブリ陶は又クメール陶として知られているが、この影響は動物像や、干物、水などの貯蔵用として作られた大きな器物の形にみられる。 
これらのサンガロークには、すべて特色のある褐釉がかかつている。

2:中国の影響

A
中国の影響を受けているものは端反りの青磁皿などであって、これらのサンガロークは元時代(13~14世紀) に、中国の龍泉窯で焼造されたものに似ている。 
その他の中国風な形式としては、玉壷春形瓶や瓢形瓶などがある。
B
サンガロークの人形のあるものは、中国人そのものを表しており、ときには漢字がその上に記されていることがある。
C
器物の文様などにあらわれた影響をあげると、例えば蓮花文様などがそれである。  
蓮の種類や形式は元青磁に施された蓮花文様と同様である。
中国の影響が見受けられるのは、スコタイ時代に製陶の技術を教えるためにタイ国へやつてきた中国人陶工によって、これらの焼物が焼造されたことを示唆している様である。


3:ベトナムの影響
見込に花文様を釉下鉄絵の技法で描いた白釉陶形式と文様に特に著しく表れている。
但、サンガロークは安南(ベトナム陶)とは違って、その素地は安南のそれよりは、遥かに薄く、高台内には褐色の鉄渋を塗っていない。
サンガロークが安南に似ているのは、ベトナムの陶工が生活費を稼ぐ為にスコタイにやって来た事を物語ているのは、運筆が安南のそれに非常に良く似ているからである。

4:日本の影響
胴の外側に線刻文の付いたサンガローク青繋碗の形式は、日本人の趣味に適っている。
タイ国では、おそらく日本市場の需要に応じて、これらの茶碗を焼造したのであろう。

チェンセーン時代のランナ(北部王国)諸窯:14〜16世紀

タイ国北部地方には、多くの窯の痕跡があり、パヤオ、ランパーン、チェンマイ、チェンライの4地方に散在している。
これらの窯は、おそらく14〜16世紀の間に活動していたに相違なく、窯址を発掘したときに、中国の明初の青花磁もまた同時に発見されている。
チェンマイ県サンカンペン地区を発掘した際に、スコタイにある窯によく似た煉瓦造でアーチ状の天井をもつ下膨れの窯が発見された。
これらの窯は前部は焚口、真中は焼物の置く所(焼成室)、後部は煙突になっていた。

1:サンカンぺン窯
サンカンペン郡では83窯址のうち、7窯址が発掘され丘の傾斜に沿って村中に散在している。
アーチ状の天井をもつ下膨れの単室丸窯の大きさは、一般に長さ2.28〜3.60m、帽が1.55〜2.20mである。
窯には混じり粘土で構築された物もあるが、窯壁を補強する為に煉瓦もまた使われており、釉薬が窯壁の内外を覆っている。
この様な形態はコポン、チャムパポン、トンヘー、ドンダム、ワット・チ一ンセーンの諸窯で見ることが出来るが、以上がサンカンペン窯址として知られている。
サンカンペンの素地の粒子は粗い赤味を帯びた灰色で、透明ではなくむしろ不透明に近い白濁釉や淡緑釉や褐釉がかかつている文様は大体釉下鉄絵の技法で揃かれている。
もっとも一般的な鉄絵文様は、円の中に二匹の魚を配したもので互いの頭部を中国の、陰陽の形式に従って逆にしている。
その他の文様としては、同心円、円内の植物文、円内の動物文、車花文などがある。
ここの窯址から、皿、鉢、杯、盤、壷、玉壺春形瓶などである。
焼成時には、焼台やトチンなどを全く用いないで、器物の底と底とを合わせたり、口部と口部を合わせて、交互に積み重ねて窯の中に置いたのである。
結果、口部や底には、釉薬のかかっていない箇所が残っている。
窯址出土の陶片から判断すると、各々の窯は各々専業化し、ある窯は鉢ばかりを、また別の窯は皿のみを焼造した様である。

2:カロン窯
今日ウィァン・ハパオ郡に属する旧都カロンには、多くの窯趾がある。
窯址が存在するのはサンマケット村、トゥンマン村、パサン村などである。
これらの遺跡はメーラオ川の岸辺にある。
川の氾濫で、ある遺跡は破壊されたことにより川の中で器物を発見する事がある。
窯はスコタイ窯と同様に、アーチ形天井を持つ下膨れの単室丸窯で、長さ4.4m、幅2m煉瓦で構築されていた。
焼成に際し、器物を安定させるために、陶工はトチンや焼台を使用した。
製品は皿、坏、ケンディ、壷等である。
カロンの素地は薄くできており、白色で精緻である。
単色の灰褐色文様は花や唐草や鳥などであって、釉下鉄絵の技法で描かれている。

3:パーン窯
チェンライ県ポンデーン村にある約50エーカーの土地を古窯址史蹟に指定した。(1エーカ=4050平方メートル)
窯はドイ・サンパサックやドイ・サンダートやパン・チャムプーなど、パーン郡の多くの場所に散布している。
ここで出土した陶磁器が「パーン」として知られるようになった。
パーン窯はアーチ形天非を持つ下膨れの単室丸窯で、煉瓦で構築され、窯には釉がかかっていたが、カロン窯と同様に、三つの部分に分割され大きさは、縦横ともに3mである。
その製品は、皿、鉢、壷、ランプ、ケンディ、動物像などである。
台座付ランプは象、馬、牛の姿が好まれこれらの動物形のものを焼造していた。
ケンディは白鳥の姿をした霊鳥ハムサの形が好まれていた。
非常に精緻で薄い素地を有するパーンには、透明な釉薬がかかっているが、その釉色は乳白色から淡褐色、淡緑色と様々な種類がある。
器物に施される装飾は二通に分かれ、単色釉か釉下に草花文と同心円文が劃花の技法で施されている。
他の北部の窯の製品と比較してみると、パーン窯の陶磁は最高の技術を用いて焼造されたことが明らかである。

4:ワノヌア窯
ワンヌア郡の窯址は、フエイ・パクド、フエイ・ルアン、フエイ・プブド、フェイ・サオ、フェイ・ヒア、フェイ・ヤーオンなどの小川の近くにあり、多くの場所に散在している(フエイは小川を指す)。
トゥンファ村とフエイ・サイ村にある窯は、非常に薄い透明な乳白色か又は淡絨色釉を、特別に精綴な薄い素地にかけて焼造していた。
窯はアーチ形天井をもつ下膨れの単室丸窯(長さ6.70m、幅2.20m)で、粘土で構築され、釉で補強されていた。
窯址から出土した主な遺物は皿、瓶、鉢、動物像、蓋付小壷等で、無文であり、淡緑釉、淡青釉又は淡褐釉がかかっていた。

アユタヤおよびパンコク時代の陶磁:1350〜1767年

アユタヤ時代(1350〜1767)に日常生活用に器物は、おそらく地方産の土器やサンガロークや中国磁器などであろう。
以前に述べた焼物がアユタヤのチャオプラヤー川から大量に発見された事に基づいている。
地方産の土器は、様々な大きさを右する伝統的な形式を持ったもので、煮炊き用鍋、水容器、鉢、皿等で、これらの土器はあらゆる時代を通じて使用されてきた。
サンガロークは、遅くとも15世紀、アユタヤ時代初期には、おそらく用いられていたであろう。
アユタヤで出土した中国陶磁は、宋・元時代の龍泉窯系青磁や影青(インチン)等であった。
明時代の青花磁器も又上絵付の五彩磁器と共に発見された。
タイ国の人々は永い間中国磁器に馴染んできた為に、タイの王室はタイ風な文様を持つ特別な陶磁を中国に注文した。
これらの特注品は(ベンチャロン)と(ライナムトン)の二種類であって、これらを「シノ・タイ」焼と称する人々もいる。
ベンチャロンは、アユタヤ時代未期からバンコク時代初期まで、すなわち17世紀から19世紀初めまで用いられていた。
一方、ライナムトンは19世紀に限って用いられたものである。
18世紀末は、ヨーロッパ人がビルマ、インド、中国、インドネシア、マレーシア、 フィリビンなどの諸国を植民地化していた時代で、アジアは彼らからますます多くの影響を受けていたのである。
タイ国では、パンコク時代のチュラロンコーン王(1868〜1910)すなわちチャクリ 朝のラーマ五世は、西洋文化をタイ国内に広く普及せしめた。
政治的あるいは経済的な理由から、これら西洋の影響を歓迎したのである。
以末、ヨーロッパの陶磁器がさまざまな機会に用いられるようになり、同時にタイの人々の間には、タイ料理や中国料理に加えて、西洋料理が普及して現在に至っている。

1:ベンチャロン
上絵付の五彩磁器は中国明時代の万磨年間(1573〜1619)に広く一般的に焼造されるようになった。
アユタヤ朝の上層階級のタイ人は、このような色彩の華やかな磁器を愛好した。
中国から多彩磁器を購入する以外に、高官たちはタイ風文様を中国へ送って、タイ風な絵付をした磁器を注文して作らせた。
このようなタイ風の文様をもつ多彩磁器の特別なタイブをベンチャロンと呼ぶのである。
ベンチャロンは「五」をあらわし、ロンは「色」を意味する。
したがって、ベンチャロンとは五彩の磁器を指すのである。
五彩、豆彩、粉彩、琺瑯彩のように、色絵磁器をあらわす中国語は、おのおのの語がそれぞれ特有の技法を、示している。
ところが、タイでは、タイ風な文様をもつ色絵磁器のすべてがベンチャロンと呼ぼれるのである。
もともとタイ国の王室用として江西省の景徳鎮へ注文が出された。
後になって、中国人はタイの市場向けにベンチャロンの大量生産をしたので、ベンチャロンは一般的になった。
景徳鎮だけでなく、福建や広東省の窯でもベンチャロンが焼造され中には、素地のみを景徳鎮で焼造し上絵付をするために広東方面へ送られたものもある。
ベンチャロンは17〜19世紀の間に焼造されたのである。
ベンチャロンの俗種には、皿、鉢、坏、化粧品人れの小壺、蓋付碗、台鉢などがある。実際には、緑・黄・赤・黒・青・白・オレンジ・金彩などのように三色から八色が、ベンチャロンに用いられている。
ベンチャロンの金彩は、文様の輪郭線を強調するためだけに使用された。
自然の美か理想的な美を表理しており自然物を対象にした文様は花束や草花文である。
定型化した文様は、神像・ナラシンガ(半人半獅)・ガルーダ(半人半鳥)・唐草文。
釈迦の本生謂(ジャータカ)から採ったタイ独特の物語の情景などである。
ベンチャロンのうち、内側に緑釉のかかっているものの方が、白釉のかかっているものより古いと信じられている。
また、高台内に中国皇帝の統治年号をつけたベンチャロンがあるが、これこそわれわれがベンチャロンを「シノ・タイ」焼と称する所以を説明し得ている。

2:ライナムトン:1723〜1735年
『シノ・タイ』焼のいま一つの例は、ライナムトンであって、文様の下地に金色を用いるのでこの名称が生まれた。
清時代の擁正年間(1723〜1735)に、白地または金地に、桃色を用いた美しい文様を 描いた粉彩磁器(ファーミユ・ローズ)が作られた。
描画の技法は、白色顔料を赤に混ぜて、一種独特な桃色を生み出すヨーロツパの技術に影響を受けたのである。
粉彩磁器はヨーロッパの市場向けにも生産されたがその頃のシャム国は重要な寄港地の一つであった。
中国貿易船がシャム湾に停泊中、粉彩磁器の一部がタイ国の王室に売られたのであろう。
それ以来、ベンチャロンの場合になされたと同方法で、タイ風デザインを中国に送って、粉彩磁器の特別注文が発せられた。
概してライナムトンの器種は、蓋付碗・蓋付壷や小壷であって、これらの磁器には、金地に薔薇の文様か他の草花文様が粉彩の技法で施されていた。
品質の点から判断すると、ライナムトンはタイ国王室の注文に応じて、江西省景徳鎮で焼造された磁器と考えられる。
ライナムトンにも高台内に中国皇帝の統治年号のついたものがある。
ライナムトンは、タイ国の王室や上層階級の人々の間に非常な人気があった。
その結果、チュラロンコーン王(ラーマ五世)の時代に、皇太子のボボンヴィチャイチャンは、さらに良いタイ風な文様をライナムトンに採り入れようとして、自分の宮殿内にライナムトンを焼成するための窯を造らせた。
この窯で焼造したライナムトンの有名な磁器の一つは、「クラトンコム」と呼ばれる小さな唾壷である。
タイの貴族の中の幾人かは、パンコクに窯を築くために中国に渡り、中国人陶工を連れ帰ってきた。
他の人々は、一つの趣味として自分自身の私的窯でタイ風文様を上絵付する為に、中国へ赴き、磁器の素地を購入してきた。
不辛なことに、これらの人々が亡くなったときに、窯の運営は中止され、彼らの作ったものは散逸してしまった。
関係記録を見つけることが出来ないので、ライナムトンの歴史を語ることは非常にむづかしい。

トロス
代表者:阿部 正敬
東京都江戸川区松島2丁目

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