1:サンカンぺン窯PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN"> セラドン歴史3 on>
タ イ 製 陶 史 1
先史時代
先史時代人の遺物は中石器時代の20,000年以前にさかのぼる。
タイ王国の国土から多くの陶磁遺物が発見され、10,000年前から始まる先史時代以来、相当文明の発達した様々な種族が国内の多くの地方に住んでいたことを示している。
金属器時代の著名な発見物の一つは、バン・チェン(バンは村の意)の彩陶であるが、これは紀元前4,000年にさかのぽる。
これに反し、他の金属器時代の遺跡では、紀元前2,000年代の通常の土器を製造しており製陶の伝統的技法は、引き続き歴史時代に伝承された。
夕イ国史の時代区分は次のとおりである
夕 イ 国 史
時 代
1 ドヴァラヴァティ時代
6世紀から 9世紀
2 シュリーヴィジャヤ時代
8世紀から11世紀
3 ロッブリ時代
11世紀から15世紀
4 スコタイ時代
13世紀から15世紀
5 チェンセーン時代
13世紀から15世紀
6 アユタヤ時代
14世紀から18世紀
7 パンコク時代
18世紀末から現在迄
中石器時代:10,000年〜8,350年頃
中石器時代の土器の最古の例は、マエホンソン県スビリット洞窟で発見された。
研磨した石斧や石刃と共伴して発見された土器片は、今から10000年〜8350年以上にさかのぽることが明らかとなった。
スビリットの土器の表面は、磨研か縄目文様(縄文)で飾ってあるかの何れかである。
タイ国の製陶の伝統的技法は、遅くとも10,000年以前に始まったといえるのである。
バンコク西方カンチャナブリ県で、新石器時代の遺跡を調査発掘し,おびただしい数の人骨と共に、土器や研磨した石斧及び普通の石斧などがある。
製陶技術はかなり高度に発達していた様である。
土器の色は黒色、赤褐色及灰色でありそれらの土器のうち、ある物は表面が磨かれており、他の物は縄文が施されている。
新石器時代:約4,000年以前
出土した土器は、26種の様式をもっていたが、その中でもっとも目立ったものは三足の鼎であって、先史時代の中国の『鬲(れき)』に似ており、年代を調べたところ、これらは約4,000年以前に作られたことが判明した。
カオサムルナム洞窟でも、バン・カオ遺跡出土の土器と似ている同年代の物が出土した。
ロッブリ県パン・コク・チャレオン遺跡出土の土器は、既述の諸遺跡出上の土器よりさらに装飾が加わっている。
文様はこの遺跡独特の物で、それらは線刻文や巻貝文等である。
台付鉢の形式もまたこの遺跡独特の物である。
金属器時代:紀元前3,000年
東北にあるウドンタニ県パン・チェン村の遺跡から、最古の銅器製造技術の遺物が出土と同時に土器もまた出土している。(他地区からも出土している)
土器の著しい特微は、淡黄色の素地に文様が描かれていることであつて、今ではパン・チェン土器として有名になっている。
東北部のサコンナコン県サワンデンデンディン地区でも発見されている。
バン・チェン文化の最古の土器は、黒色または灰色で、縄文や捌花文で飾られ丸い胴の壺や台皿などである。
ここで、最古のものは、紀元前3,600年から2,000年以前となる。
この時代の未期に作られた土器には、線彫した文様の枠内を代赤で塗った物があり後代に現れた手描による赤色彩陶の先駆を成す物であろう。
パン・チエン土器:紀元前1,600〜500年の後期
パン・チエン土器は彩陶であり、この種のものが、世界的に有名にした。
土器に使用した顔料は、おそらく代赤石か或は樹液と混ぜた黄色土(赤鉄鉱)であろう。
様々な文様がこれらの遺跡から出土した土器に現れているが、それらを詳しくのべると
1
蜥蜴・蛙・蛇・亀・鹿・水牛その他小さな昆虫類のような動物文様
2
葉文様
3
三角・四角・円・渦巻き、様式化した巻貝文様などの幾何学文様
4
男女の性器のようなもの等である
ドヴァラヴァティ時代:6〜11世紀
先史時代の終末(キリスト紀元の初期)に、現在のタイ国領に出現した最初の王国は扶南(ふなん)であり先史文化を示すおもな考古遺跡は、スパンブリ県ウトン地区とナコンサワン県タクリ地区のチャンセーンとにある。
ベトナム南部オケオの遺物に似ているが、従来はそこが扶南の中心であると考えられていた。
6〜11世紀、ドヴァラヴァティ王国が今日のタイ国の中央部に引続いて存在し、東北及北部に衛星都市国家をもっていた。
ドヴァラヴァティ時代の焼物は日常用の道具類であり、ランブや建築装飾用諸像と共に、雛、壷、鉢、ケンディ(水注)等、全ては土器と称すべき物でありドヴァラヴァティ時代の焼物は、粒子の粗い素地と精綴な素地との二種類の土器がある。
手捻りか轆轤で素地は、粘土に砂の様な物を混ぜた土器と粘土と鉱物質の物を混ぜた物である。
手捻りによって作る土器は、黄色味を柵びた黒や灰色等、様々な色合いを持った厚手の素地から出来ている。
粗胎土器の中には、丸い胴を持った大墾が有り、台座を使用し製作されたであろう。
別様式の墾は、底が丸くて、胎が薄く、轆轤仕上げで、素地は中間に灰色を有する桃色・赤色又は灰色である。
粗胎土器の表面は、縄文・印花文・縦筋文や席文などで飾ってあるが、おそらく炎や籠等によって、これらの文様が着けられた物であろう。
この種の土器は、アジア広域の古代遺跡などで発見されている。
精胎土器
技術が進み轆轤成形によって胎は薄く仕上げられ高火度焼成による土器である。
表面は磨かれ、白土の化粧掛をした素地は灰色がかったビンクか黄色味を帯びている。
装飾技法が広範囲に渡り、この種の装飾文様は2種類あり、肩か胴に施されるのである。
土器の肩の部分に施される装飾文様には、9つの型があり、
A 指圧文と波状文
B 線文と波文
C 線刻の平行線帯の中に施した菱形文
D 水平な環状帯内に施した打点の短い斜線文
E 銚衡文帯
F 水平な環状帯内のV字重ね文
G 十字文帯
H 線刻の平行線文帯
I 四角な枠内に施した馬の口文帯など
胴部の装飾文様は、特に精胎土器においては、突起文によって分離されている長方形印花文の水平連続帯である。
印花文は動物や象微で象・獅子・霊鳥(ハムサ)等の様に仏教やパラモン教に関係のある文様で、白色顔料又は紅白の線で塗った物もある。
一般的には、ドヴァラヴァテイ土器は、日常生活用の道具である。
高度の技術を用いて作った精胎土器は例外としても、これらの土器は大体において、この種の土器は、おそらく互いに影響し合ったと思われる扶南やクメールの土器と似ている。
シュリーヴィジャヤ時代(タイ南部):8〜13世紀
8〜11世紀にかけてのタイ国南部の文化遺物はシュリーヴイジャヤ様式と称せられる。
タイ国南部ソンクラ県サティンブラ郡遺跡に存在する窯址から出土した土器は、ナコンシタマラートやスラークニ出土の土器は、フィリビンを始め、マレーシア、インドネシア等近隣の国々から出土した土器と似ていることが明らかとなった。
シュリーウィジャヤ陶は土器で、素地はオレンジ又は白色で、表面は磨かれており肩の回りを赤色顔料で塗ったものがある。
同時に出土した遺物に中国の唐・宋・元時代の陶片がより、シュリーウィジャヤ土器の年代は、8〜13世紀と考えられる。
土器の器形は、壺・ケンディ・鉢・皿等である。
ソンクラ県ハーオ村出土の土器片は、家事用の物と特製の物との二種がある。
特製土器
このグループに属するものは、注口の有無はあるにせよ、いずれもケンディの形式を持つ土器である。 注口のついたケンディをタイ語で「コンティ」そして注口の付いていない物を「コントー」と称する。
これらのケンディは、丸い胴と高い醐と細口又は広口を有しており、精徴な土味を有し、急回転の轄櫨で成形されある程度の温度調節が可能な、此較的に巧妙に作られた窯で焼成された物である。
窯の温度は、かなり高温であり(その結果)、素地は滑らかであり、結士によって差はあるものの、それらの色は乳白色か黄色か又は赤色をしている。
その中では、乳白色の土器の品質がもっともすぐれている。
ケンディの表而の装飾は、口縁や頸や肩に測花文または刻花文の技法で施され、彫刻された部分の周閉は赤く塗られている。
タオモ一号窯とタオモ三号窯でタイ国芸術局が行なった発掘の結果、窯の下部構造が発見されたが、それは地下30センチメートルの深さの所に埋まっていた。
窯の天介部は壊れていたがその窯の実測図から判断して、窯は直径1.3mの円窯であり、20cm幅の溝によって、4分円に分割されていた。
窯床の下から、埋まっていた大量の粘土と土器片が発見された。
カオリンや雲母を多量に含んだ砂のような好材料をパーオ村一帯では、容易にみつけることができる。
ロッブリ時代
ロッブリ陶は「クメール陶」として多くの人々に知られている。
ロッブリ時代の美術は、クメール美術と同様の美術様式を意味しているからである。
クメールの文化遺物に似たものが、他の地方よりも大量にロッブリにおいて発見されているせいでもある。
ロッブリ陶はタイ東北部ブリラム県ロッブリ窯址(3つの小高い丘の古窯址(240平方Km以上))で発見され、11〜12世紀のクメール遺跡の近くで中国の宋時代の青白磁と共に出土されている。
窯は焼成粘土で築かれ、四連房式の構成で、最初の房は焚口らしく、最後の房は煙突になっていることが明らかになった。
この窯群は、他の窯址の上に重ねて築かれていることが判明したドンレク山脈の北部、ウボンラチャタニのシサケソトとロイェット県とスリン県のパン・サワイで古窯趾では、仏陀や神々や聖霊に捧げる祭器と実用品との二種類があった。
パン・クルアット窯趾出土の焼物はせっ器であり、6グループに分類することができる。
1:半透明な淡緑乃至黄白色灰紬をかけたせっ器:9〜10世紀頃
鉢は深鉢形であり、がっちりとした筒形の壷類、外側に広がる高台を有する容器、短 頸瓶、線刻文の合子などがある。
2:緑紬褐紬せっ器:11世紀
11世紀、果褐紬の大盤や大盛と共に、黄緑灰紬のせっ器が出土し陶磁生産上で重要な発展を遂げた証拠に同一器物に結納と濃褐釉との二色の釉薬を同時に使用した点にある。
普通は、頸の部分にあたる器物の上部に緑釉をかけ、濃褐釉は胴部や下部にかけるの だが、象形をした石灰壷(訳注:濱榔子(びんろうし)を噛む際に用いる石灰を入れる壷)などは、必ずしもこの原則どおりには施釉が行なわれていない。
筒形の合子や石灰壺は下膨れの壷と同様に一般的なものである。
釉下に施される装飾は、素地に刻み込む剖花文か刻花文である。
3:濃褐和または黒釉せっ器:11〜12世紀
素地は赤昧を帯びており、合子を始め、短い頸を持った端反り口の壺等の様な小物には、貫入の入った釉がしばしば認められ、高い高台をもつ壷はとくに数が多い。
4:釉下暗花文せっ器:12〜13世紀頃
濃褐色の釉下に美麗で繊細な文様を有する焼物である。 
兎や象の様な動物形の石灰壷に、様々な用途が有り、形式も寸法も広範囲に及んでいる。
油壷や化粧品入れの合子などは鳥形である。
装飾方法に付いてみると、動物形や人間の形をした物がよく見られるが、文様は 単純な幾何学文で、印花・刻花・劃花の技法を使用している。
水平な卷線文帯・縦筋文・蓮弁文・綾目文・帯状山形文・波状文・同心円文等と共に、櫛描波文も一般的である。
どちらかといえば、素地は薄い方である。
5:粗胎黒紬せっ器:12〜13世紀頃
素地の粒子が粗く重いやきものである。
これらの大部分は特殊な装飾をもった壷や墾である。
高い高台の壷には、雁の頭がつけてあったり、石灰壷等には象の形をした物がある。
6:平底無釉せっ器:9〜10世紀頃
赤紫色の素地を右する平底の無釉せっ器である。
器種は貯蔵壺や大盤の形式をとる。
これらのせっ器には、まわりに剖花で幾何学文や列点文の装飾帯をつけた物がある。
スコタイ(サンガローク一):13世紀末から14世紀頃
『サンガローク』とはタイ国の陶磁の一種につけられた名称であるがわが国でいう『スコタイ』と(サワンカローク)が含まれる)、今日のスコタイとビッサヌロークで、 スコタイ時代に焼成されたものである。
タイの人々はサンガローク窯を「トゥリアン」窯と呼んでおり、タイ国北部の伝説では、ブラルアン王の要請によって、中国の陶工がスコタイに移生してきたとき中国の景徳鎖古窯の所在地「浮梁」が変化したとされているからである。
この頃中国の龍泉窯系青磁が、この地方で、表面採集だけではなく、発掘によって発見されている。
サンガローク窯の窯址については、二つの重要な遺跡がある。
スコタイとコーノイとパヤンを合むシサッチャナライである。
バヤンから約5Km離れたハン・コーノイの近郊ハン・ノンオに、土地の人々には「モン」(モン=ドヴ一ラワニアのモンではない)として知られた窯がある。 
赤紫色の素地を方する濃黄緑色の釉薬のかかったサンガロークなのである。
ピッサヌローク県タオハイ村で昔に洪水で流された窯址の形跡があり、濃禍色の釉薬がかかった貯蔵用の大壷、灌漑用陶管や陶製砲弾などである(タイ語で、タオは窯を、ハイは貯蔵壷を意味する)。
1:スコタイ窯址
スコタイ地区旧都の方にあり製品は、見込に釉下鉄絵で魚文を描き、透明釉を掛けた皿と鉢とである。
素地は、それほど精緻ではないので表面を滑らかにするために施釉前に土で化粧掛をしている。
器物の底は無釉のままなので、赤味を榊びた絢色の素地がみえる。
2:パヤンとコーノイ窯阯
シサッチャナライ地区には、二つの主要な遺跡があり、パン・パヤンの一つは「タオ ヤク」と呼ばれている(タオは窯を、ヤクは守護神または鬼神を意味する)。
主製品は、建築に使用する装飾用の像とその他の建築用装飾品とである。タオ・パン・コーノイは、様々な種類の日常用陶器が発見され、緑色釉乃至青磁釉、白濁釉、褐釉などがかかっているが、この窯は釉下鉄絵、褐彩等も焼成していたのである。
サンガロークは、その素地が非常に精繊で、乳白色を呈しており、化粧掛等せずに施釉されている。
濃褐色のかかった焼物は「チャリエン窯」と呼ばれる別の窯で焼成されたものと考えられていたが(チャリエンはサワンカロークの古い名称)褐釉陶は青磁や白釉など他の焼物と一緒に、パヤンにあった諸窯で焼成されたことを明らかにしている。
3:フーン・カムルエン窯趾
(シサッチャナライ地区のパン・コーノイ)
無釉せっ器だけを生産していた一つの窯を発見した。 
ここでは、無地の物と器物の表面に割花文或は貼花文を施した物との二種類がある。
4:ノンオ窯趾
ノンオ窯趾は、シサツチャナライ地区のパン・コーノイの近くにあり渡黄緑釉の掛った皿や蓋付壷や屋根瓦等は、おそらくこの窯で焼成された物であろう。
これらのやきものの素地は、粒子が粗く、その色は灰色または赤紫色である。
土地の人々には「モン」窯という名で知られている。
5:タオハイ窯趾
タオハイ窯趾は、ビッサヌローク県クオハイ村にある。
昔に洪水に遭って、無数の褐片が窯趾や川岸に散乱しており褐片の多くは、赤紫色の厚い素地に淡褐舳を掛けたせっ器であり褐片の厚さからおそらく高さ50cmを超える貯蔵用大壷又はその種の器物の破片であり灌漑用陶管や陶製砲弾などもこの窯で作られたことであろう。
サンカローク窯の構造
スコタイ旧城やシサッチャナライ地区にある窯は、アーチ状の入外を持った下膨れの窯で煉瓦で構築され、中国の江西省景徳鎮にある現代の単室の丸窯の構造に似ている。
サンガローク窯の大きさは、中国にある窯の規模に比べると小く、高さは2.2m、幅が2.3m位で前部は焚口、真中は焼物を置く焼成室で、後部は煙突に分けられている。
サンガローク窯には焼成粘土で築いた物もありドーム形天井の円窯も存在していた。
この窯で焚くには、窯床に小さな孔をいくつかあけておき、焚口が窯床の下にある。
1:窯道具
轆轤(ろくろ)で仕上げが完了した器物は、焼成のために窯の中に運ばれるが、その時には細長 い支柱の上にのせられ(中には五つか六つの爪のある粘土の円盤をやきものとやきものの間に挿入して)重ねる場合もある。
したがつて、これらの目跡がサンガロークの皿や鉢に残っている。
「モン」窯では、四つの爪のある四角な粘土板をトチンとして使用していた。
サンガローク諸窯では、焼成するときに、中国で用いられているような鉢の類をまつたく使用していなかった。
2:サンガロークの器形
異なった用途のために焼造されたサンガロークには、様々な器形のものが存在する。
たとえば下記のようなものがある。 
1
宗教用具-特に仏教の為に作られた物には、仏陀やその弟子たちの像や仏塔等。
2
建築装飾用-寺院の入口に置かれる守護神像、屋根瓦、天人像、屋根の頂華・欄干、階段手摺、屋根飾や破風形装飾品
3
日常生活用品-皿、鉢、盤、瓶、壷、合子、ケンディ、ランプ、台皿等。
4
玩具あるいは祭器-人形、武者像、水滴、母子像、男女相愛像、男と鶏像、将棋の駒、動物像等。
3:サンガロークの種類
サンガローク窯の素地はせっ器であって、1150〜1280℃ぐらいの温度で焼成された。
様々な釉薬と装飾文様からなる多くの種類があり、それらを区別すると、
1
緑色釉乃至青磁釉
2
濃褐釉
3
白濁釉
4
白地鉄絵
5
白・地上絵褐彩
6
白・褐色釉掛分
7
赤色加彩半せっ器
8
濃黄緑釉せっ器
9
劃花文無釉せっ器などがある。
4:装飾の種類
1
釉下彩絵
2
掛分
3
釉上彩絵
4
舳花文などである。
トロス
代表者:阿部 正敬
東京都江戸川区松島2丁目

タイ王国チェンマイ市
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2:カロン窯
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